過去私は「話し方教室」にいって勉強したことがあります。
日本語が上手になりたいからでも、アナウンサー志望でもなかったです。
きっかけは知人であった話し方の先生から誘われたことでした。
その道にはそれなりの技術なりテクニックがあるものだと思いました。
日本人なら誰でも日本語がしゃべれるし、アナウンサーではないのだから
日本人にそこまでいらないだろう、不要だと。
私の参加した討論する会にもそう考える人がいました。
その方の話はどうも聞き取りずらい。
個々の発音が濁っているせいだと感じました。
はじめは集中してその内容を聞いていたのですが
そのうち、めんどくさくなって
聞き流すようになってしまいました。
他の人もその方の話について
何も反応しなくなってしまいました。
映画監督でもありお笑い界で有名なある方の
話は、はっきりいって聞き取りずらい。
それでもネームヴァリューがあり、多くの人達から
一目置かれている。
このような方たちの話は中身のほうが重要視されるから
多少聞き取りずらくても特に問題視されない。
一目置かれていない、特に重要視されていない、
一般人が、わかりずらく不明瞭に発音したり、
しゃべったところで、はじめはよいが、
また、意思表示等のレベルではよいのだが、
そのうち誰も相手にしてもらえなくなるのは
火を見るより明らかであると私は考えます。
それゆえ、ボランティアで外国人に、
日本語を教えている私は
”あめんぼあかいなあいうえお ・・・・
かきのきくりのきかきくけこ・・・・”
をことあるがごとに教えます。
いずれにせよ、各人の興趣・趣味の問題なら、
好き勝手にすればよいこと、テキトウな言葉と発音とゼスチャーで
コミュニケーションをとればいいこと。
基準や規則のあること、試験・資格等は区別する必要があり、
このクリアーな発音についてはそれらに関して
語学の質を向上するために書いたつもり。
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